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北浦定政 きたうら さだまさ

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美術人名辞典の解説

北浦定政

山陵研究家。通称義助、号は霊亀亭。父は義十郎。大和国生。富田泰洲、中村良臣、万年亀雄、斉藤拙堂に師事し、国学を本居内遠に学ぶ。国中の帝陵、平城京の旧跡を測量する。著書に『大和国古班田坪割図』『平城大内裡敷地坪割図』『夙村考』等がある。明治4年(1871)歿、55才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

北浦定政 きたうら-さだまさ

1817-1871 江戸時代後期の陵墓研究家。
文化14年3月30日生まれ。大和(奈良県)古市の人。伊勢(いせ)津藩領古市奉行所の手代。大和の天皇陵を調査し,嘉永(かえい)元年「打墨縄(うつすみなわ)」を刊行。文久3年津藩士に登用され,御陵用掛となる。「平城宮大内裏跡坪割の図」など,明治以後の平城京研究の基礎となる業績を多数のこした。明治4年1月7日死去。55歳。通称は義助。号は霊亀亭。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典内の北浦定政の言及

【平城宮】より

…しかし9世紀には廃絶し,やがて水田になったらしい。このため宮跡は正確にはわからなくなり,幕末になって北浦定政(1817‐71)が平城京全体の位置を推定するまで不明のままにされていた。国学者である定政は測量学にも通じ,天皇の陵墓や宮都の位置,また大和国の条里制などに興味をもっていた。…

※「北浦定政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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