高雲寺跡(読み)こううんじあと

日本歴史地名大系 「高雲寺跡」の解説

高雲寺跡
こううんじあと

[現在地名]有漢町上有漢

大石おおいし山腹にある。明徳二年(一三九一)の西大寺末寺帳(極楽寺文書)にみえる備中国金光寺に比定する説があるがつまびらかでない。保月山と号し、真言宗臍帯ほそお寺末であったが、寛政年間(一七八九―一八〇一)同寺に合併した。寺跡に牛頭天王社を祀っていたが元治元年(一八六四)に焼失して廃された。

寺跡には保月ほつきの塔とよばれる鎌倉後期の石塔群がある。その一つは嘉元三年(一三〇五)二月一七日銘の二重九輪塔婆で、願主沙弥西信、大工井野行恒とあり、花崗岩製で高さ約二・四メートル。しかし「奉彫刻五輪塔婆」と彫られていることから台石以上は寄集めの石とされている。同年四月銘の花崗岩製の断碑は、養父笠四郎・養母笠氏の供養のために建てたと刻されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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