日本歴史地名大系 「垣村」の解説 垣村あしがきむら 山梨県:北都留郡上野原町垣村[現在地名]上野原町芦垣大倉(おおくら)村の西、東流する仲間(なかま)川左岸の段丘上に位置する。仲間川の対岸南方は大椚(おおくぬぎ)村。同川に注ぐ和見(わみ)川(和見沢)を挟み西は桑久保(くわくぼ)村。いわゆる仲間入五ヵ村の一。文禄―慶長期(一五九二―一六一五)のものと推定される四郡高〆控には村名がみえず、鶴川(つるかわ)村に含まれて高付されていたと考えられる。寛文年中(一六六一―七三)の検地帳(県立図書館蔵)では桑・漆分米二石余を含め高五八石余。 垣村かきむら 岡山県:上房郡有漢町垣村[現在地名]有漢町上有漢(かみうかん)川関(かわぜき)村の南にあり、有漢川の最上流部に位置。寛永備中国絵図・正保郷帳にみえる上有漢村の中心部を占めたと思われ、正保郷帳では同村の枝村として金倉(かなくら)村がみえ、地名は現在も残る。元禄八年(一六九五)の旧松山領新高帳(羽場文書)に垣村とみえ、古高六六四石余・新高八八三石余。元禄郷帳・天保郷帳には村名に上有漢と肩書がある。 垣村つじかきむら 福岡県:行橋市垣村[現在地名]行橋市辻垣津留(つる)村の南の沖積平野に立地する。江戸時代初期には草場(くさば)村付近で分れた祓(はらい)川の支流がすぐ西側を流れていた(正保国絵図)。中津街道が通る。元和八年人畜改帳に村名がみえ、給人一人分の高二六一石余、家数三四・人数七三(うち庄屋一・百姓四・名子等一〇)、牛六・馬五。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by