日本歴史地名大系 「高麗町」の解説 高麗町こうらいまち 鹿児島県:鹿児島市鹿児島城下西田方限高麗町[現在地名]鹿児島市高麗町(こうらいちよう)・荒田(あらた)一―二丁目など上之園通(うえのそのとおり)町の東に位置し、北東は甲突(こうつき)川、南東は荒田村。甲突川の北対岸は樋之口(てのくち)町・加治屋(かじや)町(鹿児島県地誌)。高麗町之橋(高麗橋興)は弘化四年(一八四七)岩永三五郎により石橋となる。天保城下絵図には同橋の南に当町・上荒田があるとし、南へ武士小路一〇町ばかりとされる。文政六年(一八二三)の「立野並苗代川焼物高麗人渡来在附由来記」などによれば、慶長三年(一五九八)島津義弘が連れてきた高麗人が多人数住んだために町立てがなされたという。寛文三年(一六六三)当町居住の朝鮮人八三人を苗代川(なえしろがわ)(現東市来町)へ移し、同九年にも当町の二五家族を同地へ移した(前掲由来記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報