鬼八墓(読み)きはちのはか

日本歴史地名大系 「鬼八墓」の解説

鬼八墓
きはちのはか

[現在地名]高千穂町三田井

鬼八塚ともいう。長生の鬼神鬼八の名は初め「きはちふし」と記され、文治五年(一一八九)の十社大明神記(高千穂神社文書)に登場する。鬼八は現高千穂町と現町との境にそびえたつ二上ふたがみ(一〇八〇メートル)ちちヶ窟を根城にして土地の生娘を略奪するなど悪業のかぎりを尽したが、神武天皇の王子正市伊(十社大明神の一神)が左右大臣丹部野(田部)・若丹部野両氏を率いて攻め、激闘の果てに退治した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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