日本歴史地名大系 「高千穂町」の解説 高千穂町たかちほちよう 宮崎県:西臼杵郡高千穂町面積:二三七・二〇平方キロ西臼杵郡の中央部に位置し、東は日之影(ひのかげ)町、南は東臼杵郡諸塚(もろつか)村、北は大分県大野(おおの)郡緒方(おがた)町・同県竹田市、西は五(ご)ヶ瀬(せ)町と熊本県阿蘇郡高森(たかもり)町に接する。九州脊梁山地に抱かれたように小盆地が点在し、阿蘇溶岩台地を浸食し高千穂峡をつくった五ヶ瀬川がほぼ中央部を東へと流れている。昭和四七年(一九七二)に国鉄日之影線が延長され高千穂線となったが、平成元年(一九八九)第三セクター方式による高千穂鉄道となった。町中央部を走る国道二一八号は熊本市と延岡市を結ぶ九州横断道的性格をもち、昭和五〇年五ヶ瀬町との間で津花(つばな)トンネルが開通し、現在は当町から東臼杵郡北方(きたかた)町までがバイパスで結ばれている。熊本県から延びる国道三二五号は当町を終点とする。旧石器時代では宮(みや)ノ前(まえ)第二遺跡から黒曜石製(熊本産)のナイフ形石器が出土している。縄文期の遺跡としては早期の押型文土器が薄糸平(うすいとびら)遺跡・陣内(じんない)遺跡・岩戸五(いわとご)ヶ村(むら)遺跡などから出土している。前期の遺跡は少なく、中期の遺跡は見つかっていない。後期・晩期になると遺跡数・規模とも増加する。陣内遺跡は本県を代表する後期の遺跡で、土偶・石棒・十字形石器、翡翠の丸玉・小玉、磨消縄文土器・三万田式土器・御領式土器などが出土している。弥生時代前期の遺跡は発見されていない。中期では須玖式土器・下城式土器が若干出土する程度である。後期になると遺跡数も増え、近年ではとくに宮ノ前第二遺跡・神殿(こうどの)遺跡などで竪穴住居跡の検出例が相次いでいる。また薄糸平遺跡などから大分県大野川流域にみられる工字状突帯文の甕や熊本県下に分布の中心をもつ免田式土器の重弧文長頸壺などが出土し、当町の地域的特性がうかがえる。押方(おしかた)神社周辺遺跡などからは畿内系・瀬戸内系土器も出土している。古墳時代では円墳・横穴墓・箱式石棺などがみられるが、とくに肥後型とよばれる特殊な横穴墓が注目される。昭和四三年に調査された吾平原(あいらばる)横穴墓の玄室には四ヵ所の枕付き屍床が設けられていた。副葬品には剣・直刀・刀子・鉄鏃などがある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高千穂町」の意味・わかりやすい解説 高千穂〔町〕たかちほ 宮崎県北西部,五ヶ瀬川の上流域に位置する町。熊本県,大分県に接する。1920年町制。1956年田原村および岩戸村の一部と合体。1969年上野村を編入。三田井氏の領有地であったが,文禄1 (1592) 年以後延岡藩が支配。大部分は山林原野。主産業は農業で,田畑は五ヶ瀬川流域の段丘上に開けている。日本建国にまつわる神話伝説の地で,平安時代から伝わる岩戸神楽 (夜神楽) は国の重要無形民俗文化財に指定。下野八幡宮のイチョウおよびケヤキ,田原のイチョウはともに国指定天然記念物。祖母傾国定公園および祖母傾県立自然公園に属し,高千穂峡 (国の名勝・天然記念物) をはじめ,柘の滝鍾乳洞 (国の天然記念物) ,国見丘,高千穂神社,天岩戸神社 (あまのいわとじんじゃ) などの景勝地や旧跡がある。国道218号線,325号線が通じる。面積 237.54km2。人口 1万1642(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by