20世紀日本人名事典 「鬼頭数雄」の解説
鬼頭 数雄
キトウ カズオ
昭和期のプロ野球選手
- 生年
- 大正6(1917)年5月20日
- 没年
- 昭和19(1944)年
- 出生地
- 愛知県名古屋
- 学歴〔年〕
- 中京商卒,日本大学中退
- 経歴
- 昭和5年中京商業に入り、6年夏の甲子園に補欠で出場、2、3回は右翼7番と中堅9番で出場し3連覇。対明石中学との大延長戦で1安打、この大会4安打で余りふるわなかった。10年日本大学に進み、投手。11年大東京の4番打者で入団、ライオンと改称した12年秋、打率2位、盗塁22で島と並び1位、得点43で1位だった。15年巨人の川上と最後まで競い合って1厘差の打率.321で首位打者となった。16年南海に移籍したがふるわず、17年応召、19年サイパン島で戦死した。通算454試合出場、1759打数487安打、9本塁打、打率.277。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報