日本歴史地名大系 「魚津町田地方」の解説 魚津町田地方うおづまちでんじがた 富山県:魚津市魚津町田地方[現在地名]魚津市田地方(でんじがた)・田地方町・新角川(しんかどがわ)二丁目角川の河口部近くの右岸にあり、北は魚津町、西は三(さん)ヶ村。寛文三年(一六六三)新川郡代奥村源左衛門に下屋敷分として友道(ともみち)村の高が渡されたため、その替地として当村で一〇石余の引高があった(天保一一年「高免帳」杉木家文書)。寛文一〇年の村御印に「小津町田地方」とみえ、草高五八石・免五ツ五歩(三箇国高物成帳)。延享元年(一七四四)など三度の手上高があり、天保一一年(一八四〇)の打銀高六五石余(前掲高免帳)。所属組は文政八年(一八二五)布施組、天保一〇年以降東加積組。魚津町の町続きに田地方八幡宮(現八幡宮)があって、魚津城主の保護を受けたという。同八幡宮の辺りを請地して魚津町の八幡(はちまん)町・八代(やしろ)町がつくられ、魚津城跡の東から当地に延びていた馬場の辺りに、明治二年(一八六九)田方(たかた)町ができた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by