魚津城跡(読み)うおづじようあと

日本歴史地名大系 「魚津城跡」の解説

魚津城跡
うおづじようあと

[現在地名]魚津市本町一丁目

富山湾に近い北陸街道沿いに築かれた平城。小津城とも記される。この地は越中東部の新川にいかわ郡の中心地で、海陸交通の要衝であった。築城時期は不明だが、室町―戦国期に新川郡守護代として越中東部に勢力を有した椎名氏の居城で、同氏は承久の乱後に新補地頭として入国したとみられることから、南北朝期には居館のようなかたちで拠点が築かれていたと考えられる。「三州志」は建武二年(一三三五)椎名孫八入道が城を築き、永正二年(一五〇五)には鈴木大和守国重、天文二三年(一五五四)・弘治元年(一五五五)には板屋刑部政広が居城したと伝える。

室町期以降、椎名氏はかど川上流の山城松倉まつくら城を本拠としていたが、日常的には交通の便がよい魚津城に居住することが多かったらしい。延徳三年(一四九一)細川政元に同行して越後へ下向した冷泉為広は、「越後下向日記」に同年三月一四日は「小津ニテ椎名所旅宿也」と記し、翌日も「椎名館」に逗留しているが、これは魚津城のことであろう。なお一行は、帰京の際の同年四月一三日・一四日にも椎名館に宿泊している。戦国期の椎名氏は初め上杉氏に属していたが、永禄一一年(一五六八)春には武田信玄と結んで敵対したため、翌一二年八月上杉輝虎(謙信)は越中へ進攻松倉城を攻めた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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