魚鳥座跡(読み)ぎよちようざあと

日本歴史地名大系 「魚鳥座跡」の解説

魚鳥座跡
ぎよちようざあと

[現在地名]米子市灘町一丁目

なだ町一丁目の四つ角、大谷家の屋敷隣にあった魚市場。魚座ともよばれた。元禄年間(一六八八―一七〇四)の設立で(「大谷家屋舗図」大谷家文書)、藩の船手役所の所管に属する。弓浜半島などの海岸部や中海・日野川筋で水揚げされた鰯・鯛・鰺・鰡・海老・鮭・・赤貝(藻貝)などは魚鳥座で生物口屋を通して仲買・振売商人へ売られた。元締問屋は大谷氏・村川氏が許されて問屋口銭を徴収、大谷氏は生魚等生物扱い、村川氏は塩を中心とする間物扱いとなった(「家系略記」村川家蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む