日本歴史地名大系 「米子湊」の解説
米子湊
よなごみなと
中海南東の最奥部を占め、米子市街地の西方にある。北東部は弓浜半島が延び、西は中海に点在する小島をぬって島根県
藩政期初め外堀を兼ねて中海に流入する加茂川河口に船繋場を設け、湊に最も近い灘町に藩の番所が置かれた。この番所は寛文五年(一六六五)荒尾氏からの申出により深浦にも船番所が許可されたのに伴い、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中海南東の最奥部を占め、米子市街地の西方にある。北東部は弓浜半島が延び、西は中海に点在する小島をぬって島根県
藩政期初め外堀を兼ねて中海に流入する加茂川河口に船繋場を設け、湊に最も近い灘町に藩の番所が置かれた。この番所は寛文五年(一六六五)荒尾氏からの申出により深浦にも船番所が許可されたのに伴い、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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