鮎原庄(読み)あゆはらのしよう

日本歴史地名大系 「鮎原庄」の解説

鮎原庄
あゆはらのしよう

現五色町北東部の鮎原あいはら地区一帯に比定される。保延二年(一一三六)一二月二六日付の宣旨(綸旨抄)に、吉祥院所司らが「一、淡路国司使乱院領鮎原庄責己庄家事」を訴えていることがみえ、菅原道真が父是善の菩提を弔うために、元慶五年(八八一)に建立したと伝える京都吉祥きつしよう(現京都市南区)領であった。「猪熊関白記」建仁元年(一二〇一)四月二七日条によれば、近衛兼経のもとに「吉祥院領淡路国鮎原庄」など三ヵ所と和漢書籍の帰属をめぐる菅原定賢と法橋定円の争いに関する裁判文書がもたらされている。定賢と定円は兄弟で、菅原氏内部で当庄などをめぐる争いが起こっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android