近衛兼経(読み)このえかねつね

改訂新版 世界大百科事典 「近衛兼経」の意味・わかりやすい解説

近衛兼経 (このえかねつね)
生没年:1210-59(承元4-正元1)

鎌倉中期の公卿岡屋関白殿と称せられる。父は関白太政大臣近衛家実,母は前中納言源雅頼の女,実は兵部大輔藤原季定の女である。1222年(貞応1)元服して禁色昇殿を許され,正五位下侍従として出仕,爾来中納言,大納言を経て27年(安貞1)に右大臣,35年(嘉禎1)に左大臣に昇り,翌々年舅氏九条道家の譲りにより摂政となる。ついで38年(暦仁1)左大臣を辞任するが,40年(仁治1)冬に明年の四条天皇の元服加冠のために太政大臣となり,41年天皇の元服加冠ののちに辞任した。42年四条天皇が没すると摂政を解任され,ついで後嵯峨天皇の践祚により関白となったが,2ヵ月で関白を辞任した。しかし47年(宝治1)後深草天皇のとき再び摂政になり,52年(建長4)弟の鷹司兼平に摂政を譲補し,57年(正嘉1)出家,法名を真理と称したが,正嘉3年5月4日50歳で没した。兼経は和歌や有職故実に通じ日記は《岡屋関白記》という。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

関連語 米田

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛兼経」の解説

近衛兼経 このえ-かねつね

1210-1259 鎌倉時代の公卿(くぎょう)。
承元(じょうげん)4年5月4日生まれ。近衛家実(いえざね)の3男。右大臣をへて,嘉禎(かてい)元年(1235)左大臣。3年摂政,氏長者となり,のち太政大臣,関白を歴任。従一位。九条道家(みちいえ)の娘仁子を妻とし,近衛・九条両家の不和を解消した。正元(しょうげん)元年5月4日死去。50歳。号は岡屋。日記に「岡屋関白記」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「近衛兼経」の解説

近衛兼経 (このえかねつね)

生年月日:1210年5月4日
鎌倉時代前期の公卿
1259年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の近衛兼経の言及

【鷹司家】より

…鎌倉時代の初めから近衛・九条両家の対立が激しくなったが,承久の乱後,九条道家とその3人の子が相ついで摂関の地位を占め,九条家の全盛をほこった。しかし1246年(寛元4)に起きた前将軍藤原頼経(道家の男),名越(北条)光時らの謀反陰謀事件により,道家とその男摂政実経が失脚し,近衛兼経が摂政に再任されて,近衛家の得意時代を迎えた。兼経は朝政刷新を目ざす後嵯峨院政の重鎮として,禁中・院中にわたり勢威をふるったが,52年(建長4)弟の兼平に摂政を譲った。…

※「近衛兼経」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む