鮫湊(読み)さめみなと

日本歴史地名大系 「鮫湊」の解説

鮫湊
さめみなと

[現在地名]八戸市鮫町

みなとの東に位置し、八戸湊の東部をなす。鮫村の海岸より約一五〇メートル西北の海上にかぶ島があり、この間が船掛り適地とされていた。

正保四年(一六四七)の南部領内総絵図に「鮫湊 此湊広壱丈(ママ)水底にはゑ有荒磯舟懸不自由、此湊ヨリ泊湊海上道十四(里)半ノ間遠浅荒磯」とあり、盛岡藩時代から利用されているが、入船数が増加し、港としての機能が確立するのは八戸藩領になってからであろう。元禄六年(一六九三)海岸部の街地の屋敷割が行われ(「御勘定所日記」同年八月一〇日条)、同一六年には船着場や倉庫用地などの区画整理が実施されている(同日記)。おもに廻船発着港として利用され、宝永元年(一七〇四)からは幕府の城米船の入船港とされた(同日記同年六月二二日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android