鰺ヶ沢湊(読み)あじがさわみなと

日本歴史地名大系 「鰺ヶ沢湊」の解説

鰺ヶ沢湊
あじがさわみなと

西は弁天べんてん崎から東は中村なかむら川河口までの沿岸。藩政時代は青森とともに両浜りようはまとよばれた重要な港で、十三じゆうさん(現北津軽郡市浦村)深浦ふかうら(現深浦町)を含めて四浦しうらと称された。

天正一三年(一五八五)大浦(津軽)為信が小田原おだわら(現神奈川県小田原市)参陣のため、鰺ヶ沢湊を出たが大風にあい果せなかったという(津軽一統志)。大坂廻米は鰺ヶ沢湊から積出すのが原則とされ、寛文一二年(一六七二)敦賀つるが(現福井県敦賀市)経由で送られたのが最初で、大坂まで直行する西廻航路の完成は貞享四年(一六八七)で、順風で五―六日を要したという(西津軽郡史)。岩木川流域の穀倉地帯の米が十三湊に集められ、海上を鰺ヶ沢に回され、いわゆる「十三小廻し」体制が確立し、鰺ヶ沢が十三湊に代わって繁栄したのは、廻米の積出港となってからである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鰺ヶ沢湊の言及

【鰺ヶ沢[町]】より

…中心の鰺ヶ沢は鰺ヶ沢湾に沿って街村をなし,近世に津軽藩の御用港として発達した。西廻海運の拠点で,津軽藩の上方廻米は大部分が鰺ヶ沢湊から積み出された。奉行所が置かれ,弘前に次ぐにぎわいをみせ,明治以降は郡役所も置かれたが,青森,弘前を中心とする陸上交通の発展に伴って衰退した。…

※「鰺ヶ沢湊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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