青森県西部,西津軽郡の町。人口1万1449(2010)。津軽半島の基部に位置し,北西は日本海に面する。秋田県境の白神山地に源を発する赤石川,中村川の流域を占め,山林が多い。中心の鰺ヶ沢は鰺ヶ沢湾に沿って街村をなし,近世に津軽藩の御用港として発達した。西廻海運の拠点で,津軽藩の上方廻米は大部分が鰺ヶ沢湊から積み出された。奉行所が置かれ,弘前に次ぐにぎわいをみせ,明治以降は郡役所も置かれたが,青森,弘前を中心とする陸上交通の発展に伴って衰退した。近世中期以降,ニシン,ハタハタ漁が盛んであったが,近年は不振で,養殖漁業などに力を入れ,県水産試験場(現,青森県水産総合研究センター)もある。JR五能線が通り,赤石川,中村川流域では米作,岩木山北西麓や鳴沢ではリンゴ栽培が盛ん。赤石川上流の種里城跡は津軽氏の祖大浦光信が築いたもので,津軽氏発祥の地とされる。
執筆者:佐藤 裕治
津軽藩の港町で,同藩四浦の一つ。中世に繁栄した十三湊(とさみなと)に代わり,寛文年間(1661-73)より上方廻米の積出港となった。津軽平野の岩木川を下した米は十三湊経由で海上を鰺ヶ沢湊に運ばれ,雇船の北国・上方船が敦賀,大坂に回漕された。大坂などからは木綿,古着,塩,荒物,茶などが移入され,蝦夷地との海上交易も盛んであった。上方廻米量は多いときは7万石に及び,東の青森湊を上回った。町は三ッ屋町,七ッ石一丁目,七ッ石二丁目,本町一丁目,本町二丁目,米町,新町,釣町,浜町,漁師町,新地,寺町,富根町,田中町,淀町からなり,町奉行の支配下に町年寄,名主,月行事がおかれ町政を担当した。ほかに漁師頭,鍛冶頭,御船守,舟大工頭,船頭頭,畳屋頭などがいた。本町が中心で船問屋,商人が集住し,宝暦期(1751-64)の船問屋は12軒であった。1764年(明和1)の戸数は730余,幕末には1000軒近くに達したといわれる。
執筆者:渡辺 信夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
青森県西部、西津軽郡、日本海に面した町。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)赤石、中(なか)、舞戸(まいと)、鳴沢(なるさわ)の4村と合併。JR五能線、国道101号、津軽自動車道が通じる。藩政時代には津軽藩の外港として奉行(ぶぎょう)所が置かれ、藩の米蔵が建てられて西廻海運(にしまわりかいうん)の千石船の往来がしげく、津軽四浦(十三(じゅうさん)、青森、深浦、鰺ヶ沢)の一つに数えられた。明治になり陸上交通が発達すると外港としての機能は衰微した。明治から大正にかけてニシン、ハタハタ、イワシの豊漁が続き漁港として繁栄した。町域南部は白神山地に含まれ、世界自然遺産登録地。面積343.08平方キロメートル、人口9044(2020)。
[横山 弘]
『『鰺ヶ沢町史』(1961~1964・鰺ヶ沢町)』
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