鳥屋尾城跡(読み)とやごうじようあと

日本歴史地名大系 「鳥屋尾城跡」の解説

鳥屋尾城跡
とやごうじようあと

[現在地名]三隅町井野

上今明かみいまあけの東、地元で鳥屋尾山(四八〇メートル)とよばれる峻険な山にあったとされるが、遺構は明確でない。ただし南麓に邸跡・土居跡(平野家)と伝える所がある。三隅氏四代兼連の代に築かれ、兼連の次男兼雄が拠城して鳥屋尾氏を称したという(以上「三隅町誌」)。暦応五年(一三四二)三月一五日の上野頼兼軍勢催促状(閥閲録)に「鳥屋尾城」とみえ、当城を攻略寸前の北朝方守護上野頼兼は井尻四郎太郎に当城への籠城を命じている。当城への攻撃は同年二月二一日・二二日に三隅に向かった逸見有朝らによって行われ、三月一七日夜に落城した(同年六月一八日「逸見大阿代子息有朝軍忠状写」小早川家文書など)。ただし康永三年(一三四四)四月二七日には、益田兼見らが「鳥尾城」攻撃のため横山よこやま(現浜田市)に陣をとって数ヵ月警固しており(同年七月二日「益田兼見軍忠状」益田家文書)、この鳥尾城は当城と考えられるから、この間に南朝方に取戻されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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