鳥戸郷(読み)とりべごう

日本歴史地名大系 「鳥戸郷」の解説

鳥戸郷
とりべごう

和名抄」高山寺本は「度利戸」、刊本は「止利倍」と訓ず。鳥部・鳥辺とも記す。

天平一五年(七四三)正月七日付粟田馬養優婆塞貢進解(正倉院文書)に「秦三田次 年州八 山背国愛宕郡鳥部郷粟田朝臣弓張戸口」とある。「山城国風土記」逸文には、「南鳥部里、称鳥部者、秦公伊呂具的餅化鳥、飛去居其所森、云鳥部」とあり、「南鳥部里」の称があったことが知られる。

「三代実録」元慶八年(八八四)一二月二五日条には「勅以山城国愛宕郡鳥戸郷地四町、為贈正一位藤原朝臣総継墓地」とあり、これより先の同書一二月一六日条には「是日、定贈皇太后山城国愛宕郡中尾山陵四至之堺、東限谷、南田、西隍、北谷、有山四町五段、下知中務治部両省、施薬院、山城国」とあって、この中尾なかつら山陵は「延喜式」諸陵寮式に「中尾陵 贈皇太后藤原氏、在山城国愛宕郡鳥部郷、陵戸五烟、山四町五段、四至、東限谷、南限田、西限隍、北限谷」とあるものに該当する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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