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泉涌寺 せんにゅうじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

泉涌寺
せんにゅうじ

京都市南東部,東山区にある真言宗泉涌寺派の本山。空海の創建と伝えられ,初めは法輪寺と呼ばれ,その後天台宗に改宗し仙遊寺と呼ばれた。建保6(1218)年俊芿が宋から帰朝して再興し,泉涌寺と改め宋風の伽藍とした。

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デジタル大辞泉の解説

せんにゅう‐じ〔センユウ‐〕【泉涌寺】

京都市東山区にある真言宗泉涌寺派の総本山。山号は泉山。天長年間(824~834)に空海が開創の法輪寺のち仙遊寺を、建保6年(1218)俊芿(しゅんじょう)が再興して改称し、天台四宗兼学の道場とした。四条天皇の陵が営まれて以後、皇室の菩提寺(ぼだいじ)として崇敬された。御寺(みてら)。

せんゆう‐じ【泉涌寺】

せんにゅうじ(泉涌寺)

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百科事典マイペディアの解説

泉涌寺【せんにゅうじ】

京都市東山区泉涌寺山内町にある真言宗泉涌寺派の大本山。御寺とも。本尊釈迦如来藤原緒嗣の創建と伝え,天台宗で仙遊寺と号したが,1218年俊【じょう】(しゅんじょう)が再興し,泉涌寺と改称,台密禅律四学の兼学道場とした。
→関連項目鎌倉仏教舎利俊【じょう】東山[区]横田荘臨済宗

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世界大百科事典 第2版の解説

せんにゅうじ【泉涌寺】

京都市東山区にあり,東山連峰の月輪山(つきのわさん)の山麓の閑寂,高雅な環境にめぐまれた天皇家の菩提寺。泉山(せんざん),御寺(みてら)とも称し,中・近世には律を中心として台・密・禅の四宗兼学の寺院。明治以後,真言宗泉涌寺派の本山となった。当寺ははじめ法輪寺,ついで仙遊寺と称したが,鎌倉時代前期の1218年(建保6),豊前国の武士中原信房が帰依していた俊芿(しゆんじよう)にこの寺を寄進,俊芿は寺号を泉涌寺と改め,律院として伽藍を整備した。

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大辞林 第三版の解説

せんにゅうじ【泉涌寺】

京都市東山区にある真言宗泉涌寺派の大本山。山号、東山・泉山。空海の開基という。1218年俊芿しゆんじようが再興し、天台・真言・禅・律の諸宗兼学の道場とする。境域に四条天皇以後、諸天皇の陵があり、皇室の菩提所として崇敬された。御寺みてら

せんゆうじ【泉涌寺】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

泉涌寺
せんにゅうじ

京都市東山区泉涌寺山内町にある真言(しんごん)宗泉涌寺派の総本山。月輪山(がちりんさん)または東山(とうぜん)と号し、御寺(みてら)、泉山(せんざん)とよばれる。本尊は釈迦如来(しゃかにょらい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、阿弥陀(あみだ)如来。天長(てんちょう)年間(824~834)に空海が法輪寺を建立し、のちに仙遊寺(せんゆうじ)と改称されたのを、1218年(建保6)に月輪大師俊(しゅんじょう)が再興して開山となる。そのとき境内から清泉が湧(わ)き出したのに由来して現寺号に改称された。以来、皇室の崇敬厚く、皇室の菩提(ぼだい)所として、また諸宗兼学の道場として栄える。伽藍(がらん)は応仁(おうにん)の乱で焼失したが、徳川4代将軍が寛文(かんぶん)年間(1661~73)に再建し、さらに1884年(明治17)、御座所、小方丈など京都御所の一部を移築し、現在に至っている。1884年に再建された霊明殿には、四条(しじょう)天皇をはじめ歴代天皇、皇后、親王の尊牌(そんぱい)(位牌(いはい))が安置される。御山陵(さんりょう)には87代四条天皇をはじめ、諸天皇、中宮、皇太后の御陵がある。仏殿、大門、開山塔、無縫(むほう)塔は国の重要文化財。俊筆の付法状、泉涌寺勧縁疏(かんえんしょ)(いずれも国宝)、中御門(なかみかど)天皇宸翰(しんかん)、道宣・元照・俊の画像(ともに国の重要文化財)など寺宝は多い。観音(かんのん)堂に安置されている聖(しょう)観音(楊貴妃(ようきひ)観音)は美貌(びぼう)で名高く、縁結び、諸願成就(じょうじゅ)の観音として信仰されている。山内に来迎(らいごう)院など九つの塔頭(たっちゅう)があり、1月15日の泉山(せんざん)七福神巡りには人々でにぎわう。[眞柴弘宗]
『『古寺巡礼 京都28 泉涌寺』(1978・淡交社) ▽赤松俊秀監、総本山御寺泉涌寺編『泉涌寺史』全2巻(1984・法蔵館)』

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世界大百科事典内の泉涌寺の言及

【俊芿】より

…鎌倉前期に戒律復興を実践した学僧。京都泉涌(せんにゆう)寺の開山。号は我禅,字(あざな)は不可棄,のち月輪大師(がちりんだいし)と勅諡(ちよくし)された。…

【大喪】より

…葬儀が仏式によった確実な初例は聖武天皇の葬儀であるが,以後孝明天皇の葬儀に至るまで仏式が用いられた。この間,平安・鎌倉時代を通じて,葬儀は所縁のある寺院において行われたが,南北両朝分裂後の北朝の後光厳天皇以後,孝明天皇に至るまで京都泉涌(せんにゆう)寺で行われた。明治維新後,孝明天皇の三年祭に当たり,神式で行うとして以来,宮中における葬儀は神式となり,1897年の英照皇太后,1912年の明治天皇の葬儀も神式で行われ,同時に葬儀の次第もほぼ定着し,やがて皇室喪儀令が制定され,大正天皇の葬儀は同令によって行われた。…

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