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清閑寺 セイカンジ

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デジタル大辞泉の解説

せいかん‐じ【清閑寺】

京都市東山区にある真言宗智山派の寺。山号は歌中山。延暦21年(802)紹継の創建で、佐伯公行の中興という。初め天台宗だったが、慶長年間(1596~1615)に性盛が復興、真言宗に改めた。境内に六条高倉両天皇の陵がある。

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世界大百科事典 第2版の解説

せいかんじ【清閑寺】

京都市東山区清閑寺山ノ内町にある真言宗智山派の寺。もと天台宗に属し,平安時代中期の10世紀末に,伊予守であった佐伯公行が建立した。996年(長徳2)勅願寺とされ,それから鎌倉時代にかけてが全盛期だった。盛時の寺域は東西5町,南北6町と伝え,法華三昧堂や宝塔などを擁し,1176年(安元2)六条天皇,81年(養和1)には高倉天皇が寺内に葬られた。だが,応仁の乱で荒廃し,近世初頭,慶長年間(1596‐1615)に根来(ねごろ)寺の性盛が復興して,真言宗に転じた。

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大辞林 第三版の解説

せいかんじ【清閑寺】

京都市東山区にある真言宗智山派の寺。802年紹継の開創。もと延暦寺の別院だったが江戸初期に智積院に属す。六条・高倉両天皇の陵と小督局こごうのつぼねの墓がある。歌の中山。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

清閑寺
せいかんじ

京都市東山区清閑寺山ノ内町にある真言(しんごん)宗智山(ちざん)派の寺。本尊は十一面千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)。「歌の中山(なかやま)」の名で知られている。802年(延暦21)紹継(じょうけい)が天台宗寺院として創建。のち荒廃したが、一条(いちじょう)天皇のとき佐伯公行が再建した。のち応仁(おうにん)の乱で焼失したが慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に紀州(和歌山)根来(ねごろ)寺の性盛が復興・修営し、このとき真言宗に改宗した。歌の中山とは当寺から清水(きよみず)寺へ至る間の山路の称で、古来、花と紅葉の名所として歌に詠まれた地である。『都名所図会』によると、昔、真燕僧都(しんえんそうず)が夕暮れ門前を行く美女に心を動かされて清水へ行く道を尋ねると、女人は「見るにだに迷う心のはかなくて誠の道をいかで知るべき」とたしなめて姿が見えなくなったとあり、「歌の中山」の名の由来とされている。境内には六条(ろくじょう)天皇陵、高倉(たかくら)天皇陵、高倉天皇の寵姫(ちょうき)小督局(こごうのつぼね)の墓がある。[祖父江章子]

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