大治四年(一一二九)一〇月四日焼亡(百錬抄)、再建後の安元二年(一一七六)六条天皇を、治承五年(一一八一)高倉天皇を寺内に葬った。高倉院死去の様子は「明月記」同年正月一四日条に「未明巷説云、新院已崩御、依庭訓不快、日来不出仕、今聞此事、心肝如摧、文王已没、嗟乎悲矣、倩思之、世運之尽歟、(中略)今夜渡御邦綱卿清閑寺小堂、抑是六条院御墓所堂」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市東山区清閑寺山ノ内町にある真言宗智山派の寺。もと天台宗に属し,平安時代中期の10世紀末に,伊予守であった佐伯公行が建立した。996年(長徳2)勅願寺とされ,それから鎌倉時代にかけてが全盛期だった。盛時の寺域は東西5町,南北6町と伝え,法華三昧堂や宝塔などを擁し,1176年(安元2)六条天皇,81年(養和1)には高倉天皇が寺内に葬られた。だが,応仁の乱で荒廃し,近世初頭,慶長年間(1596-1615)に根来(ねごろ)寺の性盛が復興して,真言宗に転じた。現在の堂宇は本堂,観音堂,庫裏(くり)などわずかであるが,境内は清楚で雅趣に富み,江戸時代から東山の紅葉の名所として名高い。菅原道真が梅樹で造ったという本尊の千手観音像と,小鍛冶宗近の念持仏と伝えられる不動明王の霊験は,江戸時代から世に聞こえている。なお,当寺から清水寺に至る山道を俗に〈歌の中山〉といい,転じて〈歌の中山清閑寺〉と対で呼ばれることが多い。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
京都市東山区清閑寺山ノ内町にある真言(しんごん)宗智山(ちさん)派の寺。本尊は十一面千手観世音菩薩(せんじゅかんぜおんぼさつ)。「歌の中山(なかやま)」の名で知られている。802年(延暦21)紹継(じょうけい)が天台宗寺院として創建。のち荒廃したが、一条(いちじょう)天皇のとき佐伯公行が再建した。のち応仁(おうにん)の乱で焼失したが慶長(けいちょう)年間(1596~1615)に紀州(和歌山)根来(ねごろ)寺の性盛が復興・修営し、このとき真言宗に改宗した。歌の中山とは当寺から清水(きよみず)寺へ至る間の山路の称で、古来、花と紅葉の名所として歌に詠まれた地である。『都名所図会』によると、昔、真燕僧都(しんえんそうず)が夕暮れ門前を行く美女に心を動かされて清水へ行く道を尋ねると、女人は「見るにだに迷う心のはかなくて誠の道をいかで知るべき」とたしなめて姿が見えなくなったとあり、「歌の中山」の名の由来とされている。境内には六条(ろくじょう)天皇陵、高倉(たかくら)天皇陵、高倉天皇の寵姫(ちょうき)小督局(こごうのつぼね)の墓がある。
[祖父江章子]
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