鶉農場(読み)うずらのうじよう

日本歴史地名大系 「鶉農場」の解説

鶉農場
うずらのうじよう

明治三二年(一八九九)福井県の山内甚之助によって開設された農場。明治三〇年福井県坂井さかい郡鶉村(現福井市)出身の山内甚之助一家六人が奈江なえ村に仮住し、貸付地外のパンケの沢を選定した。郷里の若林衡ら二〇人の名義を借り、同三一年に五二万余坪の貸下げを申請、同郷の道庁長官杉田貞一の支援もあり認可された。翌三二年入植、踏査後一戸二万五千坪・二一戸分を区割分譲した。七年後には開墾を完了させるため、気候・風土になれた道内在住の北陸出身者で真宗門徒の入地者を募り、同三四年までに自作二一戸・小作四戸を得て鶉農場と命名した。同三七年の戸口は三〇戸・一三〇人ほど。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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