日本歴史地名大系 「鶴崎御茶屋跡」の解説 鶴崎御茶屋跡つるさきおちややあと 大分県:大分市旧鶴崎市地区鶴崎町鶴崎御茶屋跡[現在地名]大分市南鶴崎三丁目大分市立鶴崎小学校と県立鶴崎高等学校の敷地にあった肥後熊本藩の御茶屋跡。慶長六年(一六〇一)豊後国に領地を得た熊本藩主加藤清正は、まず大友氏家臣吉岡氏の居城であった鶴崎城跡に御茶屋を設けた(「山川金毘羅社南学院系図由来記」鶴崎町史)。御茶屋は寛永九年(一六三二)藩主となった細川氏にも引継がれた。御茶屋とは本来は藩主の休憩所・宿泊所であり、同藩領の佐賀関(さがのせき)町(現佐賀関町)・野津原(のつはる)(現野津原町)・久住(くじゆう)(現久住町)にも置かれていた。鶴崎の御茶屋の場合は諸役所も設けられており、藩の豊後支所的な役割も担っていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by