鶴崎湊(読み)つるさきみなと

日本歴史地名大系 「鶴崎湊」の解説

鶴崎湊
つるさきみなと

大野川の分流鶴崎川(前川)左岸にあった湊。肥後熊本藩の重要な海の玄関口であった。「豊後国志」や「西遊雑記」などにも記されており、参勤交代や藩の用船をはじめ、多くの船舶が利用していた。慶長六年(一六〇一)鶴崎を所領とした熊本藩主加藤清正は堀川開削を行い、大野川の水を引いて船着場とした(「山川金毘羅社南学院系図由来記」鶴崎町史)。加藤氏に替わって寛永九年(一六三二)藩主となった細川氏による船入りの普請は同一一年に始まり、同氏は船入りの口を広く真っすぐに掘り、船の出入りに都合がよいようにと命じている(寛永一四年「鶴崎へ遣状之控」永青文庫)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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