鷲原村
わしばらむら
[現在地名]津和野町鷲原
中座村の西、津和野川両岸の狭小な平地と後背山地に立地。津和野城下五ヵ村の一。中世吉見氏時代に津和野城の山下集落として上市が形成されていたと考えられている。津和野城下から飯浦(現益田市)への道が通る。寛永一四年(一六三七)の検地帳(津和野町郷土館蔵)によれば田高二〇二石余・一五町九反余、畑高一一二石余・二〇町九反余、新開畑高一〇石余・八町七反余、名請人五九、うち屋敷登録人一四・無屋敷登録人一九・家中侍一・同下人三・入作一〇・職人五・百姓下人四・寺院三。津和野城下町の拡大に伴い村内の耕地が家臣屋敷などに割譲され、元禄期(一六八八―一七〇四)には手廻り丁・川丁・山根町・山根横丁・本町・中町・新横町・風呂屋町・持弓丁などが成立していた(津和野町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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