日本歴史地名大系 「鷲家口村」の解説 鷲家口村わしかぐちむら 奈良県:吉野郡東吉野村鷲家口村[現在地名]東吉野村大字小川(おがわ)高見(たかみ)川と鷲家川との合流地、伊勢南街道(高見越)の要地で、鷲家村入口に立地。小川郷のうち。慶長郷帳では村高一四二・二四石、旗本辻子和泉領。元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領となり、延宝七年(一六七九)幕府領に編入された。郡山藩の二割半無地高増政策で村高は一八〇・九〇三石に増えた。文久三年(一八六三)九月二四日、主将中山忠光以下天誅組同志三〇余名は十津川郷から北山(きたやま)郷・川上(かわかみ)郷の難路を小川郷(鷲家口)に着いたが、和歌山・彦根両藩にはばまれた。鷲家口の戦で那須信吾ら六人の決死隊員、松本謙三郎・藤本鉄石・吉村寅太郎の三総裁らは戦死し、小川郷は天誅組終焉の地となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by