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吉村寅太郎 よしむらとらたろう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

吉村寅太郎
よしむらとらたろう

[生]天保8(1837).土佐
[没]文久3(1863).9.26. 大和,吉野
幕末の尊攘派志士。虎太郎とも書く。名は重郷。父太平の跡を継いで庄屋になったが,文久1 (1861) 年武市瑞山の勤王党に加盟,翌年脱藩して国事に奔走,寺田屋騒動で捕われて送還された。同3年さらに京都に出て藤本鉄石松本奎堂らと天誅組を起して討幕攘夷の挙兵をしたが,鷲家口 (わしかぐち) の戦いに敗れて自刃。 (→大和五条の変 )

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デジタル大辞泉の解説

よしむら‐とらたろう〔‐とらタラウ〕【吉村寅太郎】

[1837~1863]江戸末期の尊攘派志士。土佐の人。武市瑞山の勤王党に参加し、尊王攘夷運動に活躍。藤本鉄石らと天誅組を組織、大和で倒幕の兵を挙げたが敗死。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

吉村寅太郎 よしむら-とらたろう

1848-1917 明治-大正時代の教育者。
弘化(こうか)5年2月5日生まれ。但馬(たじま)(兵庫県)豊岡藩士の子。明治6年文部省にはいり,広島外国語学校,広島師範などの校長を歴任し,20年第二高等中学校初代校長となる。のち四高の校長をつとめた。大正6年1月14日死去。70歳。慶応義塾卒。

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世界大百科事典 第2版の解説

よしむらとらたろう【吉村寅太郎】

1837‐63(天保8‐文久3)
幕末の尊王攘夷派の志士。土佐藩士。名は重郷。寅太郎は通称。庄屋の家に生まれ,若年にして跡を継ぎ実績を上げた。1861年(文久1)武市瑞山の勤王党に加盟し,翌年脱藩して活躍したが,寺田屋事件に連座して土佐に下獄した。63年再び上京し,松本奎堂,藤本鉄石らと中山忠光を擁して天誅組を組織し,大和五条の幕府代官所を襲撃し,のち9月敗死した。【井上 勝生】

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大辞林 第三版の解説

よしむらとらたろう【吉村寅太郎】

1837~1863) 幕末尊攘派の志士。土佐の人。虎太郎とも。名は重郷。土佐勤王党に加盟。1863年天誅組を組織、大和五条に挙兵、敗死した。

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世界大百科事典内の吉村寅太郎の言及

【東津野[村]】より

…北川の三島神社境内にある農村歌舞伎舞台は国の重要有形民俗文化財。なお吉村寅太郎は村内芳生野(よしうの)の出身で,吉村家は代々庄屋を務めていた。林業を主とし,シイタケ,茶,栗などを産する。…

※「吉村寅太郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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