鷲頭庄
わしずのしよう
下松市内、河内・豊井付近に比定される。「仁和寺諸堂記」に「蓮華寺 号周防堂、鷲頭荘北堂領也、今皆破損之間、其勤被本寺内艮用不動堂、以青蓮寺二箇所各六人也、三昧十二人、自昔被勤北院夏衆也、周防堂号者、若周防国司建立歟、将又鷲頭荘之故歟、可尋之」とあり、京都仁和寺の塔頭で周防堂とも称された蓮華寺の費用に、鷲頭庄の一部があてられていたらしい。
鎌倉時代になると、周防国衙領として東大寺の管理下に置かれ、地頭に対して押領を停止するよう命じた永仁二年(一二九四)一〇月一三日付北条実政施行状(東大寺尊勝院文書)によると、「周防国諸郷保地頭」のうちに、大内村(現山口市)・佐波令(現防府市)・鷲頭地頭がみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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