鹿子畑村(読み)かのこはたむら

日本歴史地名大系 「鹿子畑村」の解説

鹿子畑村
かのこはたむら

[現在地名]喜連川町鹿子畑

金枝かなえだ村の南東、川流域に立地し、関街道(福原経由)が通る。同街道は江川を渡河、葛城かつらぎ村を経て板戸いたど河岸(現宇都宮市)へ向かう。「那須記」に天正一〇年(一五八二)那須資胤の随身鹿子畑藤三郎之経討死の記事がある。「那須郡誌」に黒羽藩初代大関高増の重臣鹿子畑能登なる人物の記述があり、鹿子畑に居館を構えて出仕し、在所名をもって鹿子畑氏を称したとある。のち鹿子畑能登は白旗しらはた城下(現那須郡黒羽町)へ一族ともに移住したと伝える。江川右岸の丘陵側面の字古屋敷ふるやしき(通称西の郷)に初めの居館跡があり、西の郷浄光郭にしのごうじようこうかくとよんでいる。付近林地内にいたるところ畑形開掘の跡があり、屋敷遺構がみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む