鹿島 保夫
カシマ ヤスオ
        
              
                        昭和期のロシア文学者  
- 生年
 - 大正13(1924)年1月17日
 
- 没年
 - 昭和51(1976)年10月29日
 
- 出生地
 - 東京
 
- 学歴〔年〕
 - 早稲田大学露文科〔昭和24年〕卒
 
- 経歴
 - 新日本文学会、ソビエト研究者協会、多喜二・百合子研究会に属し、ロシア文学の研究、翻訳家として活躍した。小説ではビルタの「孤独」、ボロジンの「びっこのチムール」「サマルカンドの星」、評論エレンブルグの「作家の仕事」、アントーノフの「短篇小説作法」、またマヤコフスキー「詩はいかに作るべきか」「私のアメリカ発見」などがあり、編著「ソヴェト芸術論争」は第2次大戦後のソビエト文芸理論の研究には貴重な資料といわれる。
 
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
	
    
  
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                    鹿島保夫 かしま-やすお
        
              
                        1924-1976 昭和時代後期のロシア文学者。
大正13年1月17日生まれ。新日本文学会,ソビエト研究者協会などに属す。ビルタ「孤独」,エレンブルグ「作家の仕事」,マヤコフスキー「詩はいかに作るべきか」などを翻訳。またソビエト文芸理論研究にかかせない資料「ソヴェト芸術論争」をまとめた。昭和51年10月29日死去。52歳。東京出身。早大卒。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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                    鹿島 保夫 (かしま やすお)
        
              
                        生年月日:1924年1月17日
昭和時代のロシア文学者
1976年没
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
	
    
  
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