日本大百科全書(ニッポニカ) 「エレンブルグ」の意味・わかりやすい解説
エレンブルグ
えれんぶるぐ
Илья Григорьевич Эренбург/Il'ya Grigor'evich Erenburg
(1891―1967)
ロシア・ソビエトの詩人、作家。キエフ(現、キーウ)のユダヤ人の家庭に生まれモスクワで成長した。15歳でボリシェビキの地下運動に参加、17歳で逮捕され、18歳でパリへ亡命。モンパルナスのカフェ「ロトンド」に集まるボヘミアン芸術家と親交を結び、第一詩集『詩篇(しへん)』(1910)を刊行。祖国の革命の報に接し急ぎ帰国したが、たちまち国内戦の渦に巻き込まれ、ようやく1920年にモスクワへ戻った。ロシア革命の現実になかば幻滅し、翌1921年、ふたたび新聞の特派員としてパリへ赴く。しかし、まもなく追放され、ベルギーで初の長編『フリオ・フレニトの奇妙な遍歴』(1922)を書く。資本主義世界を風刺的手法で暴き、初期エレンブルグ独特のシニカルな筆致が目だつ作品だが、晩年に至るまで作者はひそかな愛着を覚えていたようだ。その後もベルリンで『トラストDE、ヨーロッパ滅亡史』(1922)、『13本のパイプ』(1923)などを発表、作家としての地位を確立した。しかし、『第二の日』『息もつかずに』(ともに1934)を書くまでは社会主義ロシアの作家としての自覚に欠けていたようにみえる。1936年、スペイン内戦に際し、旧ソ連当局の許可も得ずにパリからマドリードへ飛び、人民戦線に投じた。この間の事情は『パリ陥落』(1942)および回想録に詳しい。第二次世界大戦中は反ファシストの闘士として新聞紙上に健筆を振るった。評論集『戦争』(1944)はその成果である。戦後は『あらし』(1947)、『第九の波』(1951)など国際政治を舞台にした長編を発表。旧ソ連政府の西欧へのスポークスマン的な役割をも果たした。スターリン死後、中編『雪どけ』(1954)を発表、旧ソ連社会の自由への息吹をいち早く伝えた。晩年は回想録『人間・歳月・生活』(1960~1965)を書き、旧ソ連知識人の精神史の空白を埋め、20世紀の貴重な証言となった。
[木村 浩]
『工藤精一郎訳『フリオ・フレニトの遍歴』(1969・集英社)』▽『工藤精一郎訳『パリ陥落』全3巻(新潮文庫)』▽『木村浩訳『わが回想 人間・歳月・生活』全6巻(1961~66・朝日新聞社)』