鹿瀬城跡(読み)ししがせじようあと

日本歴史地名大系 「鹿瀬城跡」の解説

鹿瀬城跡
ししがせじようあと

鹿瀬山山頂にあった山城。城跡には三つの大きな曲輪が残存しており、中央の曲輪は二段になっていて東西に出曲輪がある。東の曲輪には石垣がみとめられ、他の曲輪より構造的にみて新しいものと思われる。「太平記」巻一七(山攻事付日吉神託事)にみえる熊野八荘司の一人鹿瀬荘司が築城したという(続風土記)。「鹿ケ瀬城由来記」(梅本家蔵)には「南朝方宇佐美新五郎、田辺六郎、薗部太郎、新宮八郎等二千余人楯籠ル。畠山持国之ヲ攻ム」とあり、永享一〇年(一四三八)九月にこの城に二千余人が立籠ったことになっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android