鹿窪坂の上遺跡(読み)かなくぼさかのうえいせき

日本歴史地名大系 「鹿窪坂の上遺跡」の解説

鹿窪坂の上遺跡
かなくぼさかのうえいせき

[現在地名]結城市鹿窪

鬼怒きぬ川・川の西、鹿窪集落がある台地の南、大きなヤトを望むところに位置。標高は三七―三七・五メートル。縄文中期―晩期・土師器時代の複合遺跡で、昭和五四年(一九七九)七月に発掘調査が実施され、翌年三月に「鹿窪坂の上遺跡発掘調査概報」が刊行された。字坂の上・鍋の内なべのうちに及び、面積二八八平方メートル。調査前に約三分の一が土取りされていたため、発掘面積は一九二平方メートル。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む