日本歴史地名大系 「鹿窪村」の解説 鹿窪村かなくぼむら 茨城県:結城市鹿窪村[現在地名]結城市鹿窪結城本郷(ゆうきほんごう)から南へ延びた台地の先端に所在。村域一帯には縄文―古墳時代の遺跡が多数確認され、いずれも集落南のヤトを望む台地縁辺部、もしくは東の台地縁辺部に位置している。向原(むかいはら)遺跡からは縄文早期―後期の土器片、打製石斧、土師器・須恵器の破片が採集され、他に縄文中期の西原(にしはら)遺跡、後期の東浦(ひがしうら)遺跡・沼尻(ぬまじり)遺跡などが知られている。また遺跡周辺には鹿窪愛宕(かなくぼあたご)塚・保戸塚(ほどつか)古墳・向原浅間塚(むかいはらあさまづか)古墳などからなる鹿窪古墳群があり、今日でもその一部を確認することができる。村は中世を通して結城氏領で、文禄五年(一五九六)一月の結城秀康黒印状(孝顕寺文書)に<資料は省略されています>とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報