鹿老渡(読み)かろうと

日本歴史地名大系 「鹿老渡」の解説

鹿老渡
かろうと

[現在地名]倉橋町 鹿老渡

倉橋島の東南に細長く突出た半島の先端に位置する港。「芸藩通志」に

<資料は省略されています>

と記す。鹿老渡は、古代以来瀬戸内海の主要航路となっていた蒲刈かまがり島から周防上関かみのせき(現山口県熊毛郡上関町)に向かうコース上に位置しており、韓泊の転訛とする説もあながち根拠のないことではない。ただしここに集落が形成されたのは「芸藩通志」によれば享保一五年(一七三〇)ということであり、これはいわゆる西廻航路の開設にともなって内海中央部を通る沖乗航路の重要性が高まったことに起因するものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の鹿老渡の言及

【倉橋島】より

…近くの桂浜に当時の船渠(せんきよ)が残されている。また島の南端にある鹿老渡(かろうと)は,沖乗り航路が盛んになった1730年(享保15)に開設された港町である。第2次大戦前,音戸・倉橋両町は呉海軍鎮守府下に置かれ,一般の開発から取り残されていたが,戦後は音戸大橋の架橋や道路の整備によって呉市,広島市との社会経済的結びつきが強まった。…

【瀬戸内海】より

… 瀬戸内海では17世紀半ばに西廻海運が整えられるまでは,山陽沿岸を通る地乗り航路が中心で,物資の交易,潮待ち,風待ちのため下関,尾道,鞆(とも),笠岡,下津井,牛窓などの港町が栄えた。それ以降は島嶼部を縫う沖乗り航路が主となり,木江(きのえ)(大崎上島),御手洗(みたらい)(大崎下島),鹿老渡(かろうと)(倉橋島)などの港町が発達した。明治以降は鉄道の発達によって沿岸航路が廃止されたところもあり,大型の汽船が普及してからは小規模な港町の多くは衰退した。…

※「鹿老渡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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