日本歴史地名大系 「倉橋島村」の解説
倉橋島村
くらはしじまむら
倉橋島のやや北寄りにある断層谷から南半を村域とし、南方海上の
推古天皇二六年河辺臣某が安芸国に派遣されて船を造った話をはじめ、宝亀九年(七七八)一一月まで計七回、安芸国で海外渡航用の大船が造られた(日本書紀、続日本紀)が、倉橋島をその造船地に比定する説があり、「芸藩通志」は「此島今に至り盛に此業(造船業)を伝るを見れば、昔の船造も此地なるべし」と記す。
鎌倉時代末期と思われる摂渡荘目録(九条家文書)に「安芸国 舞人久世、為平等院舞装束料所知行之、倉橋庄 田廿六町二段四十歩」とあり、この頃当地は倉橋庄という摂関家領荘園で宇治平等院の舞装束料として舞人の久世なる者が知行していたことが知られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報