麻布善福寺門前東町(読み)あざぶぜんぷくじもんぜんひがしまち

日本歴史地名大系 「麻布善福寺門前東町」の解説

麻布善福寺門前東町
あざぶぜんぷくじもんぜんひがしまち

[現在地名]港区南麻布みなみあざぶ一丁目

新堀しんぼり川西岸にある門前町屋。北は上総飯野藩保科家上屋敷。善福寺境内に宝永元年(一七〇四)町屋を申請、翌年許可、延享二年(一七四五)町方支配。元町である麻布善福寺門前の東方のため東町を唱える。元禄一一年(一六九八)新堀用地となり三田魚籃ぎよらん坂下に代地を受けた。町内間数は田舎間総小間五九間余。東西は南方二四間余・北方四七間余、南北は東方三二間余・西方五四間余。一千三三三坪余。ただし善福寺地中三ヵ寺、福泉ふくせん寺・浄広じようこう寺・称名しようみよう寺の境内・門があり表間口・裏幅・奥行とも入組み。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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