美馬郡(読み)みまぐん

日本歴史地名大系 「美馬郡」の解説

美馬郡
みまぐん

面積:五六二・一八平方キロ
木屋平こやだいら村・穴吹あなぶき町・わき町・美馬みま町・貞光さだみつ町・半田はんだ町・一宇いちう

県の北西部に位置する。現郡域は北を讃岐山脈、南をつるぎ山地(四国山地のうち)で画され、その間を吉野川が東流する。剣山地には主峰剣山(一九五四・七メートル)を筆頭に丸笹まるざさ山・矢筈やはず山・白滝しらたき山・赤帽子あかぼうし山・天神てんじん丸・高城たかぎ山などの標高一五〇〇メートル以上の高峰が連なり、これら山々を水源とする東から順に穴吹川・貞光川・半田川がそれぞれ北流し、吉野川に注いでいる。讃岐山脈には最高峰の竜王りゆうおう(一〇五九・九メートル)大滝おおたき山などがそびえるが、同山脈は山が浅いために、これを水源とする諸河川(東から曾江谷川・大谷川・井口谷川・野村谷川・鍋倉谷川・中野谷川・高瀬谷川、いずれも吉野川支流)には涸れ谷が多く、扇状地上では天井川となっている。吉野川沿いに沖積平野が発達するが、郡域では北岸で広く、南岸で狭い。同川の南岸沿いに国道一九二号(旧伊予街道)、その南側をJR徳島線が、北岸を県道鳴門―池田いけだ(旧撫養街道)、その北側を四国縦貫自動車道がいずれも東西に走る。おもな南北の交通路には曾江谷そえだに川沿いの国道一九三号、穴吹川沿いの同四九二号、鍋倉谷なべくらだに川・貞光川沿いの同四三八号などがある。

郡名の表記は「和名抄」の諸本ともに美馬で、訓は東急本国郡部に「美万」、名博本に「ミマ」とあり、異記・異訓はない。貞観二年(八六〇)三月二日当郡の西半を分割して三好みよし郡が設置された(三代実録)。中・近世になると分割前の美馬郡域にあたる美馬・三好両郡地方を一般に上郡かみごおり(吉野川の下流にあたる阿波・麻植両郡地方は下郡)と総称している。三好郡分離後の当郡は西は同郡、北は讃岐国、東は阿波郡・麻植おえ郡・那賀なか郡、南は土佐国に接していた。昭和二五年(一九五〇)にかつて祖谷いや山とよばれた東祖谷山ひがしいややま村・西祖谷山村が当郡を離れて三好郡に編入され、同四八年には逆に麻植郡木屋平村を当郡に編入、ほぼ現在の郡域が確定する。以後の原始を除く古代―近・現代の記述においては現在の郡域ではなく、おもに当時の郡域をその対象とした。

〔原始〕

現郡域では現在約八〇ヵ所の遺跡が確認されている。その多くは吉野川に面した脇・美馬・半田・貞光・穴吹各町の河岸段丘上に分布しており、一宇村・木屋平村の山間部では確認されていない。近年は吉野川沿いの沖積地・河床近くでも厚く堆積した土砂の下に遺跡が発見されており、今後沖積地における遺跡の確認が重要な課題となろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報