麻生寺跡(読み)あそうじあと

日本歴史地名大系 「麻生寺跡」の解説

麻生寺跡
あそうじあと

[現在地名]川辺町下麻生 上町

飛騨川右岸、河岸段丘上の上(かみ)町にあり、観音堂のみが残る。真言宗京都聖護(しようご)院末、下麻生湊(しもあそうみなと)長橋(ながはし)観音ともいわれた。延享五年(一七四八)の下麻生村諸事帳(前島文書)によると、水月山麻生寺は除地をもち、美濃国二七番札所で尊祭庵という庵号を有していた。本尊は如意輪観音、そのほか三十三所観音があり、稲葉彦六の代よりの棟札があり、井戸七郎兵衛尉光重が天正一〇年(一五八二)建立し、医天坊が慶長三年(一五九八)に再建したとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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