黒川保
くろかわほ
近世の黒川村一帯、椹野川の両岸を領域とする国衙領。
周防国衙領は文治二年(一一八六)三月東大寺造営料とされたが、黒川保もその一つであったと思われる。貞和三年(一三四七)三月一一日付の周防一宮玉祖神社文書に「周防国佐波郡大前村一宮玉祖御神用米国衙沙汰之在所注文事」として「黒河保七段小 分米壱石四斗六升七合」とある。その後大内氏の台頭によってその支配下に置かれるが、明応四年(一四九五)の得富家文書には
<資料は省略されています>
とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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