黒津船地内(読み)くろつぶねじない

日本歴史地名大系 「黒津船地内」の解説

黒津船地内
くろつぶねじない

[現在地名]内灘町宮坂みやさか

宮坂村のうちに含まれ、宮坂が上出かみでと称したのに対し、下出ともよばれた(河北郡誌)。三州測量図籍では寺家宮坂じけみやさかと記す。黒津舟権現(現小浜神社)に奉仕する人々が門前集落を形成したもので、住人は地内の者、社家の者、社内の者、門前の者などとよばれ、同権現神主の支配を受けた。元来は同権現の魚取部で七軒であったが、その後分家などで一三軒になったと伝えられるが(内灘郷土史)、安政六年(一八五九)には家数三三、男一二一・女九九(「海辺村々家数人数等書上帳」内灘町史)。宮坂村とは別に村役人を置いていたようだが(文久四年「猟船買券状」七塚町史)、独立した村ではない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む