朝日日本歴史人物事典 「黒田麹廬」の解説
黒田麹廬
生年:文政10(1827)
幕末明治の洋学者。膳所藩の儒者黒田粱 洲 の次男。通称,行次郎。麹廬は号。天保14(1843)年緒方洪庵の適塾に入門。江戸留学中の嘉永3(1850)年ごろ,イギリスの作家D.デフォーの『ロビンソン・クルーソー』蘭語全訳本によって本邦初訳『漂荒紀事』を完成,サムライ・ロビンソン像を描き出す。同5年帰藩後,藩校で蘭書を翻訳。文久2(1862)年幕府蕃所調所の改組に際し出仕。廃藩後は生活に窮し,多数の啓蒙書を著す。明治6(1873)年から同10年の間に京都東本願寺翻訳局で,古代インドのバラモン教の聖典のひとつ『リグ・ベーダ』を英訳をもとに本邦初訳に従事。孤独の内に死す。<参考文献>平田守衛『黒田麹廬と漂荒紀事』
(松田清)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報