上外崎村(読み)かみとざきむら

日本歴史地名大系 「上外崎村」の解説

上外崎村
かみとざきむら

[現在地名]伊丹市伊丹二―三丁目・鈴原町すずはらちよう四丁目・うめ二丁目・同四丁目・同六丁目・南町みなみちよう三丁目

伊丹郷町を形成する一五ヵ村の一村で外崎村とも称した(宝暦七年頃「昆陽組邑鑑」昆陽農業協同組合文書)。天保一五年(一八四四)の郷町分間絵図(武田家蔵)によると村域は伊丹町内の大手おおて町や住吉すみよし町敷地内に散在した。外崎村が段丘の下にあったことから、段丘上にあった領主の異なる飛地を上外崎村とよんだのだろう。初め幕府領、天和元年(一六八一)に京都所司代稲葉正通領となり、同三年幕府領、貞享三年(一六八六)武蔵忍藩領、文政六年(一八二三)幕府領となり明治維新に至る(伊丹市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報