伊丹市(読み)イタミシ

デジタル大辞泉 「伊丹市」の意味・読み・例文・類語

いたみ‐し【伊丹市】

伊丹

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日本歴史地名大系 「伊丹市」の解説

伊丹市
いたみし

面積:二四・九五平方キロ

県南東部に位置し、北から西は宝塚市・西宮市、南は尼崎市、北は川西市、東は大阪府豊中市・同池田市に接する。猪名いな川と武庫むこ川に挟まれ、北部は長尾ながお山麓から続く緩やかな傾斜の伊丹段丘上にあり、南部は武庫平野の低地部へと連なり、都市化が進んでいる。市域のほぼ中央を昆陽こや池陥没帯が東西に走り、北西部を流れる武庫川支流の天神てんじん川・天王寺てんのうじ川は陥没帯まで南流した後、陥没帯に沿って大きく西に向きを変え、武庫川に注いでいる。この陥没帯を利用して昆陽池ヶ池・かみ池・下池などが築造された。また東部に猪名川の支流として駄六だろく川・空港くうこう川・箕面みのお川などが流れ、猪名川は市域南部で川に分流、再び尼崎市域のうち付近で合流する。市域のほぼ中央部を南西から北東に国道一七一号が通り、北端を中国自動車道・国道一七六号が併走している。南北は東側を県道尼崎―池田線、西側を県道尼崎―宝塚線が通る。鉄道は市域のやや東側を南北にJR福知山線が貫き、市の中心部まで阪急伊丹線が走る。東端には大阪国際空港がある。

〔原始〕

縄文時代中期の遺跡には大阪空港A遺跡や有岡城跡ありおかじようあと遺跡がある。晩期では口酒井くちさかい遺跡から籾の圧痕がある土器が発見されている。弥生時代の遺跡では前期の大阪空港B遺跡があり、中期では口酒井遺跡の土製仮面、原田西はらだにし遺跡の方形周溝墓群がある。大阪空港遺跡北部の中村なかむらから外縁付鈕式四区袈裟襷文銅鐸が出土している。古墳時代では尼崎市域に連なる塚口つかぐち古墳群の東部にあたり、二重の周濠をもつ帆立貝形前方後円墳の御願塚ごがづか古墳がある。また有岡城の砦になった女郎塚じよろうづか前方後円墳がある。

〔古代〕

市域の大部分は摂津国川辺かわべ郡の南部中央に位置し、「和名抄」所載の郡家ぐうけ郷・為奈いな郷の北部地域と、西部に武庫郡児屋こや郷、東部に豊島てしま桑津くわつ郷を含んでいた。郡家郷の郷名は郡衙が置かれたことによると考えられ、川辺郡の中心地であったと思われる。また「和名抄」に記載はないが、天平勝宝三年(七五一)三月三日の奴飯刀自女等見来記(東大寺文書)にみえる坂合さかい郷は現口酒井が遺称地とされている。「日本書紀」仁徳天皇三八年七月条の佐伯部が菟餓とが野の牡鹿を献上した説話にみえる猪名県は為奈郷を中心とする付近に比定され、比定に従うと市域の東部が含まれる。古代寺院には法隆寺式の伽藍配置をもつ伊丹廃寺がある。条里地割はおもに猪名川左岸地域に顕著に残り、小坂田おさかでん・中村・桑津くわづ地区は豊島北条、岩屋いわや・口酒井・森本もりもと地区は川辺南条の坪付方式である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「伊丹市」の意味・わかりやすい解説

伊丹〔市〕
いたみ

兵庫県南東部,武庫平野の北東部を占める市。東部は大阪府に接する。 1940年伊丹町と稲野村が合体して市制。 47年神津村を編入。市名は伊丹氏が伊丹城を築城したことに由来。猪名野と呼ばれる低位段丘面上にあり,奈良時代に始った水田化の名残りとして行基ゆかりの昆陽寺や昆陽池,瑞ヶ池など大小 12の灌漑用ため池と用水路が残存。中心市街地の伊丹は戦国時代,伊丹氏,その後荒木村重城下町。江戸時代は近衛家の所領となり,酒どころとして知られた。米作のほか,園芸作物,果樹の栽培が行われる。 1920年の阪急電鉄伊丹線の開通で都市化が進み,大正末期から猪名川の氾濫原に工業化が始った。現在は住宅都市,食品,繊維,電機,化学などの工業都市として発展している。 95年の兵庫県南部地震では大きな被害を受けた。伊丹廃寺跡有岡城跡,田能遺跡は史跡。市域の北東端には大阪国際空港があり,JR福知山線,国道 171号線が通る。面積 25.00km2。人口 19万8138(2020)。

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