日本歴史地名大系 「伊丹郷町」の解説
伊丹郷町
いたみごうちよう
- 兵庫県:伊丹市
- 伊丹郷町
〔町勢〕
伊丹氏の居城を改め荒木村重が整備した有岡城は城郭を町屋が囲む惣構の城で、天正期(一五七三―九二)に寺が移転・創建されるなど抜本的に改造された。郷町一五ヵ村のうち下市場村は、元禄国絵図・天保国絵図(内閣文庫蔵)では郷町の外とし、元禄国絵図では大広寺村はなく、外崎村と上外崎村や古・新の野田村をそれぞれ一村として一一ヵ村、天保国絵図は大広寺村が増え一二ヵ村。当初は町内に空地も多く、畠地として利用されていた(延宝五年「地味委細絵図」伊丹市立博物館蔵)。一七世紀後半に第二の発展期を迎え享保年間(一七一六―三六)まで伊丹町(村)内の町数が増え続けた。文禄三年(一五九四)片桐且元によって検地が行われたが石高は未詳(文禄伊丹之図)。当初郷町は村切されておらず、慶長国絵図では高一千八九四石余、元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳は高一千八九〇石余。正保郷帳では伊丹町の左脇に枝郷として下市場村を記し、高一千八九〇石余とほかに新田高二九石余。延宝七年(一六七九)永井市正によって検地が行われ(有岡庄年代秘記)、天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳は高一千九二〇石余、天保九年(一八三八)の前掲巡見使通行用留では高一千九三五石余。明治七年(一八七四)伊丹町二七町と一二村が合併して伊丹町となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報