日本歴史地名大系 「伊丹町」の解説
伊丹町
いたみまち
[現在地名]伊丹市伊丹一―五丁目・同七―八丁目・伊丹・中央 一丁目・同三―六丁目・宮 ノ前 一―三丁目・北本町 一―三丁目・船原 二丁目・行基町 一―四丁目・鈴原町 一―四丁目・西台 一―五丁目・梅 ノ木 一―六丁目・平松 一―二丁目・南本町 一―三丁目・同五丁目・南町 二―三丁目・東有岡 一―五丁目・同七丁目
伊丹村とも。伊丹郷町の中核で北東部分に位置する。東側中央辺りに有岡城跡がある。慶長国絵図や元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳、正保郷帳、寛文九年(一六六九)頃の尼崎藩青山氏領地調(加藤家文書)などに記載される伊丹町や、将軍徳川家綱・綱吉・吉宗などの領知判物にある伊丹村は伊丹郷町全体をさしており、狭義の伊丹町とは別物である。これに対し元禄国絵図(内閣文庫蔵)以降は原則として狭義の伊丹町を伊丹町と表記し、在郷町全体は単に伊丹・伊丹郷、もしくは伊丹郷町と称した(文禄伊丹之図、享保二〇年摂河泉石高調、「正心調法記」武田家文書、天保九年「巡見使通行用留」岡本家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報