上瀬戸村(読み)かみせとむら

日本歴史地名大系 「上瀬戸村」の解説

上瀬戸村
かみせとむら

[現在地名]立山町上瀬戸

白岩しらいわ川の支流和田わだ川左岸、上段うわだん段丘の最南端に立地し、北は下瀬戸村。文禄二年(一五九三)加賀の前田利長が尾張国から陶工をよび、当地周辺に窯を築かせ、当地一帯は瀬戸村と総称された。当村には彦右衛門・小二郎が窯を築いたという。村立て以前は上末うわずえ村領内であったと考えられる。明暦二年(一六五六)の村御印留に村名がみえ、寛文一〇年(一六七〇)の村御印によると草高五二石、免二ツ三歩、小物成は瀬戸物役四七匁(三箇国高物成帳)。天明五年(一七八五)には田四九石・二町六反余、畑屋敷三石・二反、家数六・人数二六、馬二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

五節舞

日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...

五節舞の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android