下徳地(読み)しもとくじ

日本歴史地名大系 「下徳地」の解説

下徳地
しもとくじ

中世以降、佐波川上流域は下得地しもとくじ(下徳地)とよばれ、近世中期以降柚木ゆのき野谷のたに三谷みたに八坂やさか引谷ひくたに船路ふなじ小古祖おごそ深谷ふかだにほり庄方しようがた伊賀地いかじの各村に分割されたと思われる。

下徳地の地名は、文永一一年(一二七四)四月日の玉睿寄進状案(上司家文書)に「在下徳地伊賀地村鳥居瀬」とみえるのが早い。暦応二年(一三三九)四月一六日、下徳地は東福とうふく(現京都市東山区)造営料所として寄進されたが、貞和五年(一三四九)閏六月二日に改めて足利尊氏によって東福寺に寄進された(東福寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報