八賀郷(読み)はちがごう

日本歴史地名大系 「八賀郷」の解説

八賀郷
はちがごう

高山市の中央部北寄りを流れる大八賀だいはちが川および、大野郡丹生川にゆうかわ村を流れる小八賀こはちが川流域と考えられる。仁安元年(一一六六)頃の飛騨国雑物進未注進状(宮内庁書陵部蔵)に「八賀」とみえ、熊皮一枚、在家布一段二丈、在庁芻手布一段、蒔苧八目、苧一目などが未進とある。その後大八賀・小八賀に分れ、「小八賀南方」は近江園城おんじよう寺領であったが、康永三年(一三四四)一一月一六日同所などの代わりとして、足利尊氏より佐渡国大野おおの(現新潟県佐渡郡新穂村)地頭職などが同寺に寄進されている(「足利尊氏所領寄進状」園城寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報