デジタル大辞泉
「高山市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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高山市
たかやまし
面積:一四〇・四七平方キロ
飛騨地方の中心都市で、北は吉城郡国府町・大野郡丹生川村、東から南にかけて同郡朝日村、南は同郡久々野町・宮村、南から西は同郡清見村。市の成立は昭和一一年(一九三六)、市名は市制施行の際に核となった高山町によった。標高一〇〇〇メートルから一五〇〇メートルの山地が広く分布する飛騨高原の中央部にある高山盆地に立地し、標高は約五七三メートル。市内からは東の方角に乗鞍連峰をはじめ、焼岳・穂高連峰・槍ヶ岳・笠ヶ岳といった秀抜な北アルプスを眺めることができ、登山口にもなっている。年平均気温は摂氏一〇・三度、夏日が九二日であるのに対し冬日は一二八日と一年の三分の一を占める。年最高気温は三四度だが蒸暑さはなく、最高気温が零度に達しない真冬日は年平均一一日あり、当地の言葉ではその寒さを「しみる」と表現する。秋には快晴の前兆として午前遅くまで霧が盆地を覆う。初雪平年値は一一月一九日で終雪は四月一一日。春の訪れは遅く、四月一四日・一五日の高山祭(山王祭)が過ぎて一週間ほどで、梅の開花にそれほど遅れず桜が咲く。中央を神通川水系である宮川が北流し、川上川・苔川・江名子川・大八賀川が市域北部で宮川一本となる。市域は東西二七・一キロ、南北一一・五キロと東西が長いのに対し、市街地は宮川に沿って南北に長く延びるかたちで発展してきた。昭和九年の国鉄高山本線の開通や、同四七年に完成した国道四一号の高山バイパスなどの影響で、市街地は西に膨らむ勢いにある。宮川東側のいわゆる三町筋はその古い町並によって毎年多くの観光客を集める。
〔原始〕
飛騨地方では先土器時代の遺跡はきわめて少なく、高山でも岩井牧場遺跡が報告されるだけである。縄文遺跡は早期から中期にかけて多く、後期・晩期になると激減する。早期のものとしては押型文土器が出土したひじ山遺跡、早期から中期にわたる住居跡を伴う向畑遺跡、前期は住居跡から列孔浅鉢が出土した糠塚遺跡など。中期には北陸系土器からしだいに関東系・信州系の土器が卓越してくるようになり、そして上野平・山口平などに大集落が形成される。後期・晩期には石棒・石剣・石刀などのほか、全国出土の一割に当たる六〇点が出土する独鈷石、同じく半数を占める石冠・御物石器といったきわめて地域的特徴をもった石器が出土している。飛騨に現れる最初の弥生式土器は、伊勢湾沿岸で遠賀川系弥生式土器と接触して生れた水神平式土器である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の高山市の言及
【川上[町]】より
…成羽川の支流領家川流域の吉備高原に位置する。町域西端弥高山麓の集落高山市(こうやまいち)はかつて高原上の市場町として栄え町の中心をなしたが,1900年ころ領家川沿いの地頭にタバコ収納所が設置されて中心が移った。畑作を主とした農業を基幹産業とし,タバコ,マツタケ,シイタケの特産がある。…
【芳井[町]】より
…吉備高原の一角を占め,高原を貫入蛇行する小田川などの河谷に集落が点在する。北端にある高山市(こうやまいち)はかつて市場町として栄えたが,現在は小田川に宇戸川が合流する地点に発達した吉井が町の中心である。宇戸川から小田川沿いに走る国道313号線が,南隣りの井原市を経由して福山市に至る。…
※「高山市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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