刈屋浦(読み)かりやうら

日本歴史地名大系 「刈屋浦」の解説

刈屋浦
かりやうら

[現在地名]小野田市大字小野田

竜王りゆうおう山の北西麓に位置する漁村。東は城戸きど浦に接する。萩藩領で舟木宰判の西須恵にしすえ村に属する。「注進案」は神功皇后伝説を紹介して「此地に数戸の御仮屋を造立して滞陣在したるよし申伝候」と記し、「仮屋」が誤用されたのが地名の起りとしている。

三戸平左衛門家文書(「閥閲録」所収)の書出に、毛利元就の家臣三戸佐渡守について、永禄年間(一五五八―七〇)のこととして「厚東之須恵・木戸・かり屋之浦へ、海賊大勢夜中ニ船を着ケ計上り申候処ニ、右佐渡守懸合せ、一手之人数を以悉ク討捕申候」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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